日向ユキ

日向ユキ

八重の幼馴染。日向家は山本家のすぐ裏側にあり、八重とは高木家の祖母に一緒に裁縫を習う仲でした。

慶應4(1868)年、戊辰戦争で会津が戦場になると、ユキは鶴ヶ城に向かいますが、弾丸の嵐の中入城することができずに、市外に逃れます。この戦いで、ユキの父である左衛門は自害、兄の新太郎も戦死し、ユキは戦が終わった後に2人の遺体を探し出し、宝町の浄光寺へ埋葬をお願いしました。

戊辰戦争後は斗南藩に渡り、その後開拓使の手伝いのために北海道へ。そこで開拓使官吏の内藤兼備と結婚。兼備は旧薩摩藩出身でしたが、彼の熱意と周囲の説得もあり、会津藩と薩摩藩という敵味方の確執を超えた結婚となりました。明治20(1887)年には、襄と共に八重がユキのもとを訪ねており、そのとき一緒に撮った写真も残っています。

ユキは明治、大正、昭和を生き抜き、昭和19(1944)年に94歳で亡くなりました。

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