山本佐久

山本佐久

八重の母。会津藩の砲術家であった山本佐兵衛のひとり娘です。山本家は八重の祖父の代も婿養子を迎えており、代々女系家族で、家の中で女性が権力を持てる家系でした。八重が男勝りな性格に育ったのも、これが原因と思われます。

戊辰戦争の際は、八重と共に鶴ヶ城の籠城戦に参加しています。 戊辰戦争後は、八重と共に息子の覚馬を頼って京都へ。同志社女子学校の寮の舎監を務めるなど、八重には積極的に協力していました。

明治29(1896)年、86歳で自宅にて永眠します。

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