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【秀才の会津への想い】
秋月悌次郎詩碑
鶴ヶ城三の丸の入口には、会津藩公用方・秋月悌次郎の詩碑が建っています。悌次郎は日新館の頃から非凡の才を見せており、江戸の昌平黌で書生寮の舎長を務めたこともあるほどの秀才でした。一時期周囲の嫉妬から蝦夷に左遷されたこともありましたが、戊辰戦争の際には軍事奉行に任命。後方支援を主に担当していました。
三の丸に刻まれた碑には「行くに輿なく帰るに家なし 国破れて孤城雀鴉乱る」という言葉で始まっており、悌次郎の憂い悩む気持ちを感じ取ることができます。この詩は鶴ヶ城開城後、密かに城を抜け出して長州藩士に会津藩の減刑を訴えに行った帰りに詠んだ詩と言われています。
戊辰戦争後、悌次郎は東京大学予備門や熊本第五高等中学校などで教鞭を執り、その講義は非常に人気がありました。その博学と人物は小泉八雲に「神のような人」と呼ばれるほどでした。
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