関連スポットマップ

【明治に名を残す】

山川兄妹生誕の地

ssiisseekkii 022

カテゴリ : 石碑・墓碑等

戊辰戦争後、会津藩は賊軍として長い間憂き目を見ることになります。そんな身分でありながら、明治という世の中に名を遺した一族がいます。それが、会津藩家老を務めた山川家。中でも長男の山川大蔵、その弟・健次郎、妹の捨松は、非常に優秀な人物として時代に名を刻んでいます。
大蔵は八重と同い年で、新政府軍に囲まれた鶴ヶ城に入城する際、彼岸獅子を伴って入城したことが有名です。戊辰戦争後は斗南藩で大参事を務め、その後は陸軍大佐、少将、さらに貴族院議員にまでなります。
その弟の健次郎は、アメリカのエール大学で日本人初の博士号を取り、さらに東京帝国大学(現在の東京大学)の総長を務めるほどの秀才でした。後に兄の大蔵と共に「京都守護職始末」を著します。
妹の捨松は、日本人初の女子留学生。捨松はアメリカからの帰国後、元薩摩藩士の大山巌と結婚。洗練された美しさと抜群のセンスの良さで「鹿鳴館の花」と歌われたほどの人物でした。
戦に負けて賊軍と呼ばれても、時代に名を残す会津の人々。山川家は会津藩士たちの優秀さを今に残す代表格なのです。

関連スポットマップ

最近投稿された記事

  • 秀長寺

    曹洞宗のお寺で、右馬允時長が建てた「水月庵」という草庵がもとになっています。 戊辰戦争の際、佐川...

    2012/09/07 16:42 - 八重の桜

  • 長福寺

    浄土宗のお寺。 ここには「鬼官兵衛」と政府軍に恐れられた佐川官兵衛とその妻の墓があります。官兵衛...

    2012/09/07 16:35 - 八重の桜

  • 瓜生岩子記念館(蔵の里内)

    日本のナイチンゲールと呼ばれる瓜生岩子の記念館。 瓜生岩子は喜多方市の豪商の家に生まれ、戊辰戦争...

    2012/09/07 16:26 - 八重の桜