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【戊辰戦争】
中野竹子殉節碑
中野竹子は会津藩勘定役中野平内の娘で、薙刀の名手。竹子は戊辰戦争の際、後に「娘子隊」と呼ばれる女性だけの隊を結成して戦いました。娘子隊の面々は、萱野権兵衛が率いる衝鋒隊に編入し、男性さながらの戦いぶりを見せました。
竹子は涙橋の戦いの際、新政府軍の銃弾を額に受けて重傷を負い、妹の優子が彼女を介錯。男性にも劣らぬ、壮絶な戦死を遂げました。
優子はこの後、竹子の首を持って落ち延び、坂下の法界寺に埋葬。そのまま他の娘子隊と共に鶴ヶ城に入城しました。八重は竹子の母であるこう子と、鶴ヶ城の中で話をしたり、また鉄砲を教えて狙撃などを行いました。
殉節碑は竹子が戦っていたであろう涙橋(柳橋)の近くにあり、現在は勇ましい姿の竹子の像が建っています。
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