山川捨松案内板(山川大蔵邸)

⑭山川捨松案内板(山川大蔵邸)

山川捨松案内板には山川大蔵の屋敷がありました。

山川大蔵

会津藩家老。
戊辰戦争の際には、新政府軍に囲まれた鶴ヶ城に、彼岸獅子を伴って入城しました。
明治時代には陸軍に奉職、貴族院議員、男爵の爵位まで賜ります。

山川健次郎

大蔵の弟で、戊辰戦争の際には白虎隊に所属。
明治時代に渡米してエール大学に学び、日本初の博士号を取得します。
その後東京帝国大学(現在の東京大学)総長、京都帝国大学(現在の京都大学)総長、九州帝国大学(現在の九州大学)総長を歴任しました。

山川(大山)捨松

山川家の末娘。
戊辰戦争後に日本初の女子留学生として渡米し、のち元薩摩藩士の大山巌と妻となりました。
社会福祉や女性教育に力を注ぎ、その美しさから「鹿鳴館の華」と称えられました。