かやのには、萱野権兵衛の屋敷がありました。
会津藩家老。 溝口一刀流の達人だったと言われています。 会津藩が京都守護職を拝命した時には、居留守役として藩を守り、会津戦争では兵糧の確保などで活躍。 藩主の代わりに、敗戦の責任を被って切腹しました。