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【悲劇の少年隊士が眠る】

飯盛山

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カテゴリ : 石碑・墓碑等

会津若松市の東にある標高314メートルの山。飯を盛ったような形に見えるので「飯盛山」と名付けられたと言われています。
慶應4(1868)年、新政府軍の猛攻の前に、16歳から17歳の少年で結成された白虎隊も、前線に出ることになりました。戸ノ口原で戦って敗走した白虎隊士中二番隊は、敗走途中で飯盛山に逃れ、そこから政府軍が城に向かって進軍していくのを目にしました。今回が初陣の少年たちだけでは、当然政府軍には敵いません。かといって、これだけの敵の中を潜り抜けて、城に戻ることも不可能です。
少年たちは悩んだ末、武士として自刃して果てる道を選びました。その中には、八重の隣に住み、八重が鉄砲を教えていた伊東悌次郎少年もいました。
ただ1人、飯沼貞吉だけが息のあるところを近隣の村人に助けられ、この悲劇の物語を後世に伝えることになりました。
現在は、自刃した十九隊士の墓と飯沼貞吉の墓があり、彼らが自刃したと言われている場所からは、会津若松市内を一望できます。

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