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【筆頭家老の家跡】

西郷頼母邸跡

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カテゴリ : 石碑・墓碑等

会津藩の筆頭家老であった西郷頼母の屋敷は、鶴ヶ城北出丸入口のすぐ傍にありました。西郷家は保科家から分家した一族で、会津藩で代々家老を務める家柄。その屋敷は甲賀町通りと本一之丁が交差するところにあります。鶴ヶ城の正門である北口、そこに最も近い場所に居を構えることができるのは、藩主に信頼されている証しでもあります。
慶應4(1868)年8月23日、新政府軍が会津城下に迫って来ました。頼母の妻である千重子は、夫と長男を送り出した後に、親戚一同21人を居間に集めて、足手まといにならないようにと一斉に自害しました。政府軍もこの屋敷に踏み込んだとき、まだ意識のあった少女に一家の覚悟を見せつけられて、感心したと言います。
千重子の行動は、時代に翻弄された会津の女性の生き方を代表するものとして、八重と並び今日まで語り継がれています。

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