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【会津藩士の学び屋】
会津藩校日新館
江戸時代の中頃、藩政改革を断行していた家老田中玄宰が教育改革の中で、それまで分散していた、会津藩士の子供たちが学ぶための学校を1箇所に集約する構想を建てました。享和3(1803)年、鶴ヶ城の西側の道を1本隔てた場所に完成しました。素読や武芸の厳しい授業があり、会津藩士の子供たちはここで武士の心得や「ならぬことはならぬ」の精神も学んでいました。現在は、河東町に会津藩校日新館の造りを復元した観光施設があります。
八重の兄である覚馬や、最初の夫である川崎尚之助は、この日新館の教授を務めており、八重の隣の家に住み、会津戦争の際に白虎隊として出陣する伊東悌次郎もここで学んでいました。八重は悌次郎を弟のように可愛がっており、鉄砲の使い方などを教えていました。八重はのちに「悌次郎は鉄砲を撃つ時に、いつでも目を瞑ってしまうので、臆病者と叱り飛ばしていた」と語っています。
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